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辉之季节PS版新增角色:清水なつき 攻略及少量资料

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IP属地:日本1楼2012-11-21 17:01回复
    清水 なつき
    なつきはPS版オリジナルキャラです。
    11月30日
     「ねばる」
     「まだまだねばる」
     「非を认める」
     「よしておく」
     「断る」
     「わざわざ生理的欲求を抑えつけることもない」
     「长森を诱って帰る」
     「ベッドの下で眠る」
    12月1日
     「デートにでも诱ってやろうか?」
     「勘违いされても构わないぞ」
     「おはよう、と声をかける」
     「やっぱり眠ってしまおう」
     「大人しく学食にでも向かう」
     「ひとりで帰る」
    12月2日
     「もう一度寝る」
     「急いで教室に向かう」
     「一绪に食べようと诱う」
     「谁かを诱って帰る」
    12月3日
     「介抱する」
     「放っておく」
     「これは「一団」だろう」
     「「现れた」だろう」
     「合っている」
     「学食を探す」
      【汉字テスト正解者】
      1:七瀬・浩平・女生徒
      2:七瀬・女生徒
      3:七瀬・浩平・女生徒
      4:七瀬・浩平・女生徒
      5:七瀬・女生徒
      6:浩平・住井
      7:七瀬・女生徒
      8:七瀬・浩平
      9:浩平・女生徒
     10:七瀬
      七瀬・シュン攻略时には満点で。
      その他の时はお好きなように。
    12月4日
     「一绪に行く」
     「ああ」
     「里村と昼を食べる」
     「「来たぞ」」
     「いや、止めておこう」
    12月7日
     「そうする」
     「そうだな・・・」
     「见届けてやる」
     「里村の席へ行く」
     「これから体育だ」
     「ひとりで帰る」
    12月8日
     「改造手术・・・?」
     「ひとりで食べる」
     「ひとりで帰る」
    12月9日
     「绝対にやめさせる」
     「太るから」
     「やっぱりいらない」
    12月10日
     「目覚めの○○○○○だとか・・・」
     「七瀬と食べる」
     「かわりに先辈の制服をもらう」
    12月14日
     「していない」
     「游んで帰る」
    12月15日
     「仕方のない奴だな」
     「长森の言うことを闻く」
    12月16日
     「家に帰るところだ」
     「お、それはいいな」
    12月17日
     「じゃあ、なおさら游んで帰るか」
     「学生の定番、恋の话をする」
    12月18日
     「やっぱり家に帰る」
    12月19日
     「无视する」
     「このまま眠る」
     「部活に颜を出す」
     「このまま帰る」
    12月21日
     「部活に行く」
     「もう遅いから帰らせる」
    12月22日
     「部活に行く」
     「・・・分かった」
    12月24日
     「じゃ、付き合え」
     「どこか行く」
    1月3日
     「长森とは友达でいたいんだ」


    IP属地:日本2楼2012-11-21 17:06
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      観念存在论の导入による清水なつき分析论
      目的
       ONEにおいて、清水なつきという名を知っているだろうか。ほとんどの人が、目を逸らせつつ「知らない」「思い出したくない」と答えるものと思われる。改悪とも言われる移植レベルで悪名高いPS版「辉く季节へ」において、おまけ的ながらも7人目のヒロインとして登场した清水なつきだが、そのシナリオの意味不明さや、必要性の有无の问题などからほぼ完全に黙杀された、いわばプレイヤーから永远の世界送りにされてしまったキャラクターである。
       いったい、なぜ彼女はここまで黙杀されたのか。改悪移植叩きに便乗されたのだろうか。シナリオに関して言えば、「キャラもシナリオもONEの世界観にそぐわない」といった极めて漠然とした意见を见たことはあるが、それ以上に突っ込んだ厳密な分析というのはあまり见かけない。ごく単纯な见方をすれば、彼女のシナリオの特异性、即ち、攻略ルートでも浩平が永远の世界に行ったまま帰还しないという、いわゆる「プレイヤー=浩平」とした场合のアンチハッピーエンドが一般受けしなかったことが第一原因で、そこからいろいろな理由に派生したのだと考えられるが、そこにシナリオ関系からのメスが入ることはあまりなかったように思われる。
       果たして、浩平が帰还しなかったということにはどのような意味があるのか。なぜ、なつきは存在自体が黙杀されたのか。この文章は、ある意味で"ONEのタブー"とされてきた「清水なつき」というキャラクターのなんたるかを白日の下に曝し、改めてその评価を决定するという动机の下に作成されるものである。「唯脳的ONE解析论」で培ったONEに対する知见を土台に据え、脳というセントラルドグマからの多角的な解析を行うことを主目的とする。

      概要

       议论に先立ち、问题点の抽出を行う。大きな问题点を次に抜き出す。


      1.浩平が永远の世界から帰还しなかったのはなぜか?(なつきシナリオの特异性の由来)

      2.そもそも、なぜ追加されたのか?(新シナリオ追加の必要性)
      3.なぜ迫害されるのか? 改悪移植そのものに対する迫害の一环か、それともなつきシナリオだけ特に迫害されるのか? その理由は?

       この3点を主な着目点としたい。なつきシナリオ自体の分析、即ち1から始め、唯脳的
      ONE解析论と、未完成ながら観念存在论を导入しつつ、ONE全体、更にプレイヤーを含んだ系まで议论を発展させ、その中で2と3を分析する。そして、最终的には「なつきシナリオは必要か否か」という命题に迫りたい。


      IP属地:日本3楼2012-11-21 17:15
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        なつきシナリオ分析1 永远と流転の象徴、みさお

         なつきシナリオの特徴は大まかに二つある。ひとつは「攻略ルートに乗った场合でも浩平は永远の世界から帰还しない」ということと、あまり言及されないが「シナリオ内で浩平がみさおについて考えるシーンが数回现れる」ということである。みさおは
        ONEの物语の発端となった存在だが、レギュラーヒロイン6人のシナリオでは浩平が直接彼女について浩平が言及する事はなく、「永远の世界」が迫った、あるいは崩壊しかかった寸前に、病院の回想シーンで现れるだけである。
         长森との登校シーンにおいて、长森とみさおとの记忆の混同が起こっているらしい描写はあるが、逆にそこを见ると浩平はみさおのことをはっきり覚えていないらしいということが分かる。これは、みずかによって「永远(流れ去った=最初からない)」を选んだ浩平が、流れ去ってしまったものとしてのみさおを拟似的に「永远の世界」に追放してしまったためと、「唯脳的ONE解析论」で分析した。つまり、浩平が永远の世界を选んだ以上、浩平にとってみさおは、消えた浩平と同じく「最初からなかったもの」として扱われるはずである。言い方を変えれば、无意识层に追いやられているみさおの存在そのものが、浩平の意识に升ることはなかったはずである。
         しかしながら、なつきとの初めての邂逅の时、彼女にだしぬけに「お兄ちゃん」と呼ばれた浩平は「激しい胸の痛み」と共に、みさおが「かつて存在した」ということを直视する。ただ、名前や容姿までは意识に上らない。
         胸の奥から、すさまじい痛みが込み上げてくる。
         心臓を缔め付けられるような、この感じ…
         思い出す度に、この胸の内から込み上げる…
         …深い…悲しみ……
         脳裏に浮かぶそのビジョン。
         ぼんやりとだが、その姿が幼い子であるというところまでは分かる。
         うあーーーん…
         泣き声が闻こえる。
         谁だ…?
         うあーーーーーーん…
         これは…

         そして、二回目の邂逅时に浩平ははっきりと「みさお」という名前を出す。



        IP属地:日本4楼2012-11-21 17:16
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           …おにいちゃん…か。
           不意になつきが呼んだ言叶に、思い出される过去の记忆。
           昔、いつも侧にいた、その存在…
           それが普通なんだと思えた、あの顷…
           …ちがう…
           オレはあの顷とは违う…
           全部过去の遗物として、オレの中に留まっているだけなんだ。
           だからこそ、オレはあの顷を决して忘れていない。
           なつきが现れたから昔の事を思い出したとか、そんなんじゃない。
           オレは今でもずっといい兄であり続けたいと思っている。
           なつきでは无く、本当の妹…
           …そう……みさおの为に…
           ここで过去の记忆について浩平が「あの顷を决して忘れていない」と言っている。これは要するにみさおに関する无意识のロックが外れたことを表していると考えられる。浩平がみさおのことを无意识层へ追いやってフタをしてしまっていたのはこれまでの言动からも明らかなので、常に思い出せる状态としてみさおの记忆を保持していたとはあまり考えられない(もっとも、これが浩平の物语の破绽を示すものだとしても、実はあまり问题にならない。详しくは后述する)。
           みさおにかかっていた心理的ロックが外れたということは、いったい何を意味するのか。みさおはこのシナリオで浩平が言うように、彼の「悲しみ」を思い出させる存在である。もともと、彼の永远の世界はみさおを失った悲しみから生まれた。それは、「妹という存在を失った」という事実による悲しみだけではなく、「えいえんなんてなかったんだ」ということを指し示すからこその悲しみであった。永远がないことを知った浩平は绝望し、亡骸のように毎日を过ごす。そこにみずかが现れ、「えいえんはあるよ」。
           つまりは、みさおの存在は浩平にとって「永远」との引き换え券であったはずである。みずかと永远の盟约を结び、长森をパートナーとした缲り返す日常、即ち、第2の永远に身を投じた浩平にとっては、第1の永远そのものの象徴となったみさおの存在は许容できない。なぜなら、「永远」とはひとつだからである。ひとつなればこその永远であろう。永远を认めたものが、それを「二つ目の永远」だということを受け入れることなどできはしない。それゆえ、长森をパートナーにした浩平にはその后长くに渡って、みさおという存在に心理的ロックを挂けることになる。それを、「唯脳的ONE解析论」では、「流れ去った=初めからない」という立场=永远の世界を受けいれた浩平が、流れ去ったみさおをなかったことにしてしまった=永远の世界に放逐した、と表现した。


          IP属地:日本5楼2012-11-21 17:16
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             なつきと出会ったことで浩平はみさおを再び记忆のステージへ上げた。これはみさおが永远の世界から复帰したことを示す。みさおは流れ去ったが、最初からいなかったわけでは「なくなった」のだ。そしてそれは同时に、永远の盟约の破弃を示す。なぜなら、「流れ去った永远」を认めたということは、やはり「永远などなかった」ということを认めたことに他ならないからである。浩平はみさおをステージに上げたとき、それと引き换えにしていた言叶、「えいえんはあるよ」を放弃した。即ち、これがなつきシナリオにおける「盟约の破弃」にあたる。このシナリオでは、盟约の破弃はなつきを新たなパートナーとして选ぶことで选択されるのではなく、みさおの存在を正面から受け止めたことによって选択された。故に、他シナリオと同様の理屈で、「永远のパラドックス1(「永远」は、それが崩れ去る时にこそ最も强くその永远性を発挥する)」によって、放弃されたみずかとの「永远」がより根源的な「构造的永远」に姿を変え、浩平を饮みこんだ……と考えることは、しかし、不可能ではないのかもしれないが、あまり说得力がない。
             なぜか。相手がみさお、という特殊性を考虑する必要がある。彼女はONEの物语の根源であり第1の永远の象徴である。そして同时に、逆说的であるが、そもそも浩平に「永远」という概念を植え付けた「流転」の象徴でもあった。彼女を思い出すということは、浩平は「残酷な流転」に再び目を向けたということである。流転の象徴としてみさおを见たとき、浩平の持つ永远への渇望は、果たしてそのまま持続するであろうか。「流れ去ったもの」としてみさおを受け入れられれば、浩平が永远を求める理由はなくなる。つまり、みずかもお役御免になる。引きこむ侧の「永远の世界」の成り立ちそのものを、みさおを认めるという行为は消し去ってしまう。
             更に、他ヒロインのシナリオでは、永远のパラドックス1による第2永远の「永远の世界=构造的永远」への还元は、浩平が「新しいパートナーを选ぶことがみずかとの盟约の破弃につながる」ということを「明确に意识していなかった」がために说得力を持つように思われる。みずかとの盟约の真に恐ろしい部分は、浩平に「仆はみずかの提示した永远を、その言叶の背后にある意味を受け入れた」ということを、「はっきりと意识させていない」部分である。浩平は、みずかという魔性から提示された「永远」の言叶の裏にある意味をはっきりと理解することなく、それを受け入れた。だからこそ、自分の抱えているトラウマに気づかずパートナーを変更したり、长森に不用意に「付き合ってくれ」と言って墓穴を掘る结果になっているのであるし、また、「永远の世界」に消えて行く过程において、どこかで谛めつつもやはり「恐怖」を抱いているのである。しかし、みさおの存在を认めた浩平は、みさおを「永远の世界」に押し込んで、あたかも最初からなかったようにしてしまっていたことに気付いた。それは、「永远」を选んだ自分がどのような道をたどることになるのかを、「消えていたみさお」と自分の未来とを重ねることで察したかもしれない。当然、心构えがあるのとないのでは、変わらないと思っていた日常が変わるときに受ける冲撃(量としても质としても)は変わってくるであろう。
             みさおを认めるということは流転をしっかりと见据えるということであり、それは永远の盟约の必要性そのものを薄め、しかも永远の二文字の背后に隠された意味に気づかせるものであったかもしれない。そうなれば、永远のパラドックス1そのものの影响も薄まるだろうし、なにしろそれはもう予想され得た事态であるので、「永远の世界」への移行は、ここにおいて俄かに说得力を失ってくる。つまり、「永远の世界に行かずに済む方法は、流転の象徴としてのみさおをしっかりと受け入れること」とさえ言えるであろう。
             しかし、消える。それでも、消える。
             それは、物语の破绽か。それとも理解の键か。前者と决めつけるには时期尚早である。ここで清水なつきの存在に目を向ける。ただし、一ヒロインとしてではない。浩平を、引いてはONEという物语を消し去った者として、である。


            IP属地:日本6楼2012-11-21 17:16
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              なつきシナリオ分析2 物语の簒夺者、清水なつき
               実は、なつきシナリオにおいては「浩平の事情」はそれほど重要な问题ではない。したがって、みさおやみずか、そして「永远の世界」の侵食は、前节のようにある程度合理的に分析することは可能だが、そこになつきシナリオの理解に繋がる本质的な部分は存在していないのである。そして、それが「浩平の不帰还」の说明に繋がる。では、なぜ「浩平の事情」はそれほど重要ではないのか。
               まずは、なつきシナリオ中のラスト近くのテキストを抜き出してみよう。
               なつきはオレと似た境遇を生きてきた。
               オレはみさおを。なつきは兄贵を。
               共にかけがえのない存在をなくして、同じように『永远』を求めた。
               これはまったくの偶然だったのか?
               オレとなつきが出会った事は、全て偶然が重なった事として纳まるものなのか?
               それとも…
               オレ自身なのか?
               オレ自身が求めたものなのか?
               …いや、违う。
               またオレは同じ事を缲り返そうとしている。
               再びあんな思いをする事を、心のどこかで望んでいたんだ。
               そして…
               形は违うが、お互いが望んだものはここにあった。
               オレも…なつきも望んだ『えいえん』こそ、この世界なんだ。
               ただ、オレは过去に『永远の盟约』を交わしたため、この世界から出て行かないといけない。
               だからこの『えいえん』は、オレのものじゃない。
               なつきのものなんだ。
               なつきの世界に、オレが入り込んで来ただけなんだ。
               だから、オレの事をかつての『兄』としてなつきは捕らえた。
               死んだ人间がこの世界にいなくても、それに似せた存在は作れるから。


              7楼2012-11-21 17:18
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                 自分の作り出した世界だから…
                 このモノローグに重要な情报が凝缩されている。このシナリオでは、浩平はなつきの「永远」に捕获された存在でしかないのである。兄の死によって「永远の世界」に捕らえられたなつきが、自分の「永远の世界」を破壊して脱却するために「捕获」し、彼女の都合によって消し去られるだけの存在。つまり、なつきシナリオにおいて物语の主体は浩平ではなく、なつきである。これはなつきの物语であって、浩平の物语ではない。「なつきシナリオ」ではなく「なつきの物语」なのである。なつきを愈し、流転へと戻ってゆく力を取り戻すために、彼女自身が创り出した「なつきの物语」のキャラクター。极论すれば、それがなつきシナリオにおける浩平であるのだ。
                 それだけではない。なつきシナリオにおいては、おそらくONEの舞台そのものがなつきの作り出した架空の世界だとすることさえできる。「ここ」がなつきの永远の世界であるのだ! ONEという物语は、なつきの见る梦を、その梦の登场人物の视点で描いたものなのである!
                 なつきは兄を失った绝望の中で、(ONE本编における浩平と同じように)永远への扉を开いてしまった。そこで彼女は、「観念存在」という肉体なき存在を「规定する」。それが「兄」という属性を持たせた浩平であったというわけである。ということは、浩平と一绪にいることがなつきの永远の世界ということになる。
                 これはなにかに似てはいまいか。浩平が盟约を结び、「ずっといっしょにいて」もらうことで(第2)永远を形成していた相手、そう、长森との関系である。重要なのは、みずかではない、ということだ。幼なじみとしての长森が隣にいることが、浩平の「永远の盟约」だった。浩平にとっての长森と、なつきにとっての浩平は、奇丽に対応する。
                 したがって、浩平が「みずか离れ」して永远の世界から帰还するということと、なつきが「こうへいおにいちゃん离れ」して永远の世界を去るということも対応する。つまり、なつきは浩平を「消す」ことで自分の流転へと戻って行ったのである。本编において浩平の永远の世界が壊れた时、みずかはどうなったのだろうか。帰还した世界においてはみずかは省みられない。それとまったく同様に、なつきの物语は彼女が帰还した时点で终了し、浩平が省みられることはない。故に、「浩平は永远の世界から帰ってこない」という现象が起きている。それは见方をONE本编に固定していたときに出てくる意见であって、なつきの物语では(浩平が永远からの帰还后にみずかを省みなかったのと全く同様に)浩平が省みられることのほうが不自然である。むしろ、観念存在としての浩平が「帰ってくる」ということは、なつきの永远の世界が未だに存在していることの证明になってしまい、终了する意味がなくなってしまう。
                 さて、未だなつきシナリオの分析は终わらないけれども、ここで议论の展开上、どうしても论じておかなくてはならないことがある。「みずか」と「长森」の関系と、「観念存在」という造语の导入である。すぐ上の叙述で、「なぜ永远を形成していた相手は长森なのに、『みずか离れ』が永远からの脱却になっているのか」と思われたかもしれない。みずかと长森は完全に区别する必要があるはずではないのか。そもそも、长森とみずかの関系はいったいどのようなものなのか。
                 次节では、ONEにおいての最大の谜、「みずか」のまとっていた神秘のヴェールを引き剥がし、その本质に迫ってみたい。


                8楼2012-11-21 17:18
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                  観念存在论序说1 魔王みずか
                   私の书く文章内でたびたび用いられる造语、「観念存在」とはなにか。その说明はそれだけで一本文章が书けてしまうほどであると思われるので、ここでは序说と称して简単に定义だけを论じてみようと思う。
                   人が体験する世界は、感覚器によって捉えられた情报を脳が処理することによって作られる。人に见える光は电磁波の波长350700nm程度の范囲でしかない。この范囲より低い领域を紫外线といい、高い领域を赤外线という。どちらも人の目には见えない。しかし、例えば蜂は紫外线を见る。どのように见えるのかは知らない(一応私は人间なので)。白い花でも彼らにはいろいろな模様が见えることだろう。
                   感覚器において情报の「ろ过」が起こる。ろ过された情报が脳で连合して世界観が作られる。いわば、脳はアナロジー机能を有し、それによって世界そのものに似せた世界を作り上げるのである。「世界そのもの」は人间の感覚器を使っている以上决して「知覚できない」し、想像することも不可能である。人间の世界観は世界そのものの「部分」であり、アナロジーでしかない。世界は脳より広い。
                   しかし、「アナロジー」であるということはどういうことか。类比ということは、逆に言えば、似て「非なる」ものという意味も含む。脳によって作られた世界観は、世界そのものから见れば无意味である。脳自体がそもそも、极论すれば世界そのものからすれば有っても无くてもどっちでもいい。だから、脳がどんな世界観を作ろうが、それは世界そのものの知ったことではない。人间の认识が世界にフィードバックされることは、今の自然科学では考えられていない(ただ、量子论における観测问题はその常识に波纹を投げかけた。人の観测行为が世界を决定するのではないか。「シュレディンガーの猫」はその「自然科学的非常识」を用いて量子论に反驳したパラドックスである。兴味のある方は调べてみるのもよいかもしれない)。
                   それゆえ、见方を変えれば脳はいろいろなものを「创り出す」ことができるということでもある。无论、それは世界そのものにはなんの関系もない。関系はないが、しばしばそれは「脳にとって」、あるいは「人间という种にとって」、或る「真実」になりうる。
                   视覚系情报と聴覚运动系情报は脳内で连合し、主に言语となって出力される。だから「物语」はフィクションであることが普通である。それを突き诘めれば、いかに「不合理」に见えようともどこかで纳得してしまうような物语――ファンタジーという形にさえ成る。物语を语る侧も人间の脳なら、受け取る侧も人间の脳であり、そこに共通する「脳内过程」が存在したところで系统発生的な観点から见ておかしなことはない。一応、解剖学という分野が成り立つ程度には、种における构造の类似はあるのだから。


                  IP属地:日本9楼2012-11-21 17:19
                  回复
                     缲り返すと、感覚器によって「世界そのもの(客観世界)」からろ过された情报が脳で连合し、「その脳にとっての世界(主観世界)」を创る。ろ过される世界にはもちろん、「他人の脳」も含まれる。ならば、「その人自身」と、「别の人が见たその人の像」というものの间には巨大な断绝の壁があると见てよい。多くの人は、「そんなことは当然だ」と言うだろう。哲学に「他我问题」などと难しく言われるまでもない。「ある人自身AA」と、「别の人BにおけるAの像≡B(A)」は、「Aの脳」と「Bの脳で考えられたAの脳」と同じほどに异なるのである。
                     普通、AB(A)との间にはダイナミックに関连していて、B(A)は常にAのアナロジーである。类比だから似て非なる。非なるが似ている。B(A)は常にAに影响を受けて変化してゆく。その逆もまた然り。主に、BAの像を、Aとコミュニケーションをとることで形成していく。ここに、B(A)Aの有机的な関系が成立する。これがごく一般的な、人同士の関系であると思う。
                     しかし、まれにこのダイナミックで有机的な関系が断绝してしまうことがある。B(A)Aによらず、胜手に変化していくようになることがある。情报の过多と一方通行によるB(A)の変质が起こり、それをBAにフィードバックしようとする。しかし、それはBの脳で考えられたことであり、世界そのものからすれば――Aからすれば知ったことではない。この误差を修正し、相手の像を変革していくことが、Aから见た场合の、通常の付き合い、有机的な関系である。ストーカー犯罪や幼女诱拐事件、幼児虐待などは极端な例だが、肉体を抑圧した社会の果てに、このような「极端なまでに、相手が肉体を持つ存在であるということを忘れた行为」が、犯罪という顕著な形で现れていることは当然といえば当然であるし、皮肉といえば皮肉であろう。


                    IP属地:日本10楼2012-11-21 17:19
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                       このような、Aと有机的な関系を欠いたB(A)のことを、私は「観念存在」と呼んでいる。その名の通り、人の観念によってのみ定义づけられる「存在」である。あるいは観念そのものと言ってよい。そんなものは「存在」とは呼べないというのなら、「神」の「存在」の问题は白纸に戻る。少なくとも、人间にとって、それは「存在する」と定义されてもいいのではないか。私は无神论者であるのでそんなことはどうでもいいが。
                       実は、我々の世代は観念存在创造の上级者である。B(A)を创るための素体――Aをも、もはや必要としない。人格を形成するための最低条件、主に视覚情报といくつかのキーワードさえあれば简単に観念存在を创ることができるのである。が、ここでは深くは触れない。
                       话が込み入ってきたのでまとめてみよう。
                       ある人Aと、别の人BにおけるAの像B(A)との间に断绝が起こり、B(A)Aとまったく无関系に変化していくことがある。このような暴走を起こしたB(A)を観念存在と呼ぶ。我々はまた、Aさえも必要とせず、最低限度の「情报」だけから観念存在を创造する术に长けている。换言すれば、観念存在とは「肉体との连関を欠いた存在」あるいは「肉体を持たない存在」と定义できる。
                       さて、この基础部分だけ分かればもう十分であろう。そう、「みずか」は観念存在の雏型とも言うべき存在である。「永远はあるよ」というキーワードを与えてくれた长森を、幼い浩平が観念存在化した。それが、谜の少女「みずか」の正体であると考える。
                       みさおとの「永远」が壊れ、浩平は「永远なんてなかったんだ」と绝望に沈む。そこに长森が现れる。长森がどのように観念存在化したかは判然としないが、大まかに二通りが考えられるということは唯脳的ONE解析论で论じた。长森が、「永远なんてなかったんだ」と绝望する浩平に、なんの根拠もなく「永远はあるよ」と言ったときか。それとも、绝望の中で长森と出会い、彼女と行动を共にするうちにそれが再び「永远」の日常となっていき、いつしか浩平の长森像が「永远はあるよ」と嗫きはじめ、観念存在化したのか。
                       みずかを构筑する情报はたった二つしかない。一つは浩平を绝望から救い出した当时の长森の姿(视覚情报)。もう一つはもちろん、その言叶「永远はあるよ」。おそらく、この二つだけでみずかは浩平の中で実体化した。みずかと长森との関连はこの二个所だけであり、その他のすべては浩平自身が胜手に作り足したものであろう。そして、みずかと现在の长森との间には実际的な繋がりはない(更にメタ的に考えると、长森がそもそも浩平の一部であるので、みずかと长森は未だに同一性を保っているとも言えるが、それはまた别の话)。みずかと长森との间には「有机的な连関はない」。形としては「长森との日常」だが、その根底にあるのは「みずか」である。だから、最终的には「みずか离れ」が必要なのである。
                       人の欲望から生まれ、ひとつの人格として诞生した観念存在。それはちょうど、人を惑わす魔王サタンの像とも重なる。逆に、サタンとはこのような危険な観念存在を指す代名词だったのではないだろうか。このようなみずか像、観念存在という概念を导入し、再び本筋に戻ろうと思う。


                      IP属地:日本11楼2012-11-21 17:19
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                        完事。。吃饭去。。
                        反正我是看不懂。。


                        IP属地:日本12楼2012-11-21 17:20
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                          只能说。觉历= =!


                          IP属地:陕西13楼2012-11-21 18:22
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                            右上角那只小动物也可以攻略吗?


                            IP属地:韩国14楼2012-11-21 22:25
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                              发表了对one吧有贡献性的资料,加精鼓励


                              IP属地:广东15楼2012-11-22 00:06
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