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【例文】八重山古谣にみるオモロの面影

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うちなあぐち版
喜舎场永珣にゆいねえ、首里王府ぬ、「おもろさうし」ぬ结集事业や第四回んじ宫古、第五回んじ八重山ぬ民谣が対象んかいなとおたんでぃぬくとぅやしが、中断さったんでぃぬくとぅやん(『八重山古谣(上)』序文)。
琉球古典民谣ぬ多(うふ)くが八八八六调ぬ琉歌形式んかい変わてぃんじゃるむんやしが、今(なま)あぬ宫古(みゃあく)、八重山(ゑえま)、与那国(ゆぬん)ぬ古谣ぬ多くおオモロとぅ同(い)ぬ诗形(対句形式んでえ)やい、语句使(ぢけ)えんオモロ的やん(「おもろさうし」ぬ「よわれ」、「たまわれ」が八重山古谣うとをてえ、「ようり(やうり)」、「たぼうり」とぅなゆん)んでえ、オモロ世ぬ香(かば)、今に残(ぬく)ちょをん。
うぬ书物(しむち)にゆいねえ、八重山ぬ岛々村々(しまじまむらむら)んかいや、ある数以上(例れえ波照间んじえ、ジラバんでえ四种ゆ各八十首以上)ぬ古谣、覚(うび)いとをる者(むん)や音取役んでぃち言ちゃんでぃぬくとぅやん。宫古んでえ八重山んでえんかい近代ぬ波ぬ、寄(ゆ)し返えらち来(ち)ゃしえ人头税廃止(一九〇二年)ぬ后(あとぅ)やん。うにいまでぃオモロ世ぬ続(ちじ)ちょをたんでぃいちんしむるはじ。
やしが、诗ぬ形がオモロぎさるむんやらわん、かわてぃ八重山古谣ぬ歌词ぬ多くお、オモロぎさあねえらん。官制歌谣集とぅしち神歌(かみうた)んでえんかいかんちょをる「おもろ」ぬ性分から、庶民かじゃすぬ歌谣んでえや采用さってえ居らんくとぅやん。八重山古谣んかいや奔放な恋歌(くいうた)、労働歌あんしまた史料とぅしちん参考んかいないる长叙事诗んあん。うぬ豊かさあ、「おもろ」とお、比(く)なびららんしが、例(たとぅ)い、离岛うとをてぃぬ结集事业ぬ企(くぬ)み通(どぅう)い行わりたんてえまん、王府ぬ编纂方针とぅ合たらな、采录や、くうてん小(ぐゎあ)どぅやたるはじ。
神歌「おもろ」ぬ足らあんとぅくるゆ宫古んでえ八重山んでえぬ古谣や补(うじな)とをん。本岛んじぬオモロ的世ぬ庶民ぬ暮らし方んでえ、类推しみゆるむぬやくとぅやん。今ぬ本岛ぬ恋歌(民谣)作ゆる性(しょう)ん、あったに、现わりたるむのおあらな、オモロ世からぬ筋(しじ)やらはじ。旋律(ふし)ん现在(なま)、古典系(こてんむん)とぅ民谣系ぬあんねえしオモロ系とぅ庶民系とお、违とをたるはじ。
本岛んかいんオモロ语や残とをん。「おもろ」ぬ「けよ」、「けお」や、「今日」やしが、前者や「キユ」とぅしち、糸満市宇江城んでえんかい残とをん。民谣「だんじゅかりゆし」ぬ囃子(ふぇえし)、「ハイセ」や、「おもろ」ぬ「は(走)りやせ」やん。
宫古んでえ八重山んでえぬ古谣が「おもろ」んかい、ちゃっさきいなあ结集さっとをたれえ、分からんくとぅばぬまんどをるオモロ语ん、解かゆるくとぅんかいないがさらんわからん。
注:字数等ぬ関系なかい「唐狮子」とぅ文言ぬ违とをるとくるぬくうてん小あいびいん。


1楼2014-09-16 22:33回复
    标准日本语版
    喜舎场永珣によれば、首里王府による「おもろさうし」の结集事业は第四回に宫古、第五回に八重山の民谣が対象になっていたが、中断されたとのことである(『八重山古谣(上)』序文)。
    琉球古典民谣の殆どが八八八六调の韵を踏む琉歌形式に移行したのに対し、现存する宫古、八重山、与那国の古谣の多くはオモロと同じ诗形(対句形式など)であり、语句使いもオモロ的である(「おもろさうし」の「よわれ」、「たまわれ」が八重山古谣では、「ようり(やうり)」、「たぼうり」となる)などオモロ时代の香りを今に残す。
    同书によれば、八重山の各岛各村には、ある数以上(例えば波照间では、ジラバなど四种を各八十首以上)の古谣を暗诵した者を音取役(ねどりやく)と称したという。宫古や八重山に现代の波が押し寄せたのは人头税廃止(一九〇二年)以降である。その时までオモロ的时代が続いていたといってよいだろう。
    だが、诗形がオモロ的でも、特に八重山古谣の歌词の多くは、オモロ的でない。官制歌谣集として神歌などにかたよる「おもろ」の性格から、庶民の匂いがする歌谣は采用してないからである。八重山古谣には奔放な恋歌、労働歌そして史料としても参考にもなる长い叙事诗もある。その豊かさは「おもろ」の比ではないが、离岛での结集事业が予定通り行われていたとしても、王府の编纂方针に合わず、采录は、ごく一部に止まっていたかもしれない。
    偏りの强い「おもろ」の欠陥を宫古や八重山の古谣は补う。本岛におけるオモロ的时代の庶民の生活などを类推させるのだ。现代の本岛の恋歌(民谣)を作る感性も突然、现われたものではなく、オモロ的时代からの血筋であろう。旋律も现在、古典系と民谣系があるようにオモロ系と庶民系とで异なっていたかもしれない。
    本岛にもオモロ语は残る。「おもろ」の「けよ」、「けお」は、「今日」であるが、前者は「キユ」として糸満市宇江城などに残る。民谣「だんじゅかりゆし」のはやし「ハイセ」は、「おもろ」の「は(走)りやせ」である。
    宫古や八重山などの古谣が「おもろ」に数多く结集されていれば、未详语の多いオモロ语の解明に贡献できたかもしれない。
    注:字数等の関系で「唐狮子」と文言が违うところが若干あります。


    2楼2014-09-16 22:34
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