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伊坂幸太郎译文02 《潜水艇》创作访谈

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关于《潜水艇》,关于“阵内”。
2016年佐佐木墩对伊坂幸太郎的一次访谈。其中聊了伊坂幸太郎在《潜水艇》创作过程的想法,以及更广泛创作层面上的个人观点,令人留下印象有他在创作时与作为读者的自我的角力——不想给读者太多的安心感。这在这当前事实上越来越成为一种稀缺的声音,如今,对创作者者偏离读者「预设」的讨伐时常变得越来越尖锐,相同观点的读者群体的声量也越加容易聚集,力图迫使创作者做出某种回应。
还有在他作品中始终产生回响的关照,“世界”某种意义上被视作消极的,但在这种消极中,仍然试图寻找一种不庸俗的乐观态度,一种源自对心智的可能性的信任。通过带着多元的视角的创作,试图让文本在读者心中共振出读者原本没有的视角,“如果这样想又怎么样呢?”
《金色梦乡》中有一句让人难忘的句子:“不要再活在小框框里了”,伊坂幸太郎虽然把自己牢牢框定在“娱乐小说”作家的设定中,却显然对自己一直保有某种可以称之为内核的要求,甚至能称之为野心:仅仅是娱乐的话也完全不行,想用小说对人产生影响,哪怕是一点点。
阅读提示:以“——”开头的段落为佐佐木墩的提问或发言,没有“——”的部分为伊坂幸太郎的回应。
译文约4000字,预计阅读时间8分钟
译文由「 好青年发电厂」出品
本次参与发电机组 :羽翼
【インタビュー】伊坂幸太郎、12年ぶり“復活”の本音【访谈】伊坂幸太郎、时隔12年“复活”的心声
『チルドレン』から、12年。 家裁調査官・陣内と武藤が出会う、新たな「少年」たちと、罪と罰の物語──『サブマリン』が刊行された。 執筆に至った経緯と小説家・伊坂幸太郎の今を、著書『ニッポンの文学』で伊坂幸太郎を「他に似た者のいない独自のポジションに立っている作家」と評した批評家・佐々木敦がきく。
自《孩子们》之后12年。家裁调查官阵内和武藤所遇见的,新的“少年”们,罪与罚的故事——《潜水艇》发售。著有《日本的文学》,在其中将伊坂幸太郎评价为“无法被分类,独一无二的作家”的佐佐木敦,采访了《潜水艇》执笔的经过,以及小说家伊坂幸太郎的现状。
南海出版社《潜水艇》
続きを書くつもりは、なかったんです本来并没有写续作的打算
──久しぶりの『チルドレン』の続編、今なぜ、『サブマリン』を書かれたのでしょう。
——是为什么隔了这么久,写了《孩子们》的续篇《潜水艇》呢。
『チルドレン』の続きを書くつもりは、実は、なかったんです。
でも、直接関係があるかどうかは自分でも分からないんですが、陣内だったら今どうするだろう、というようなやりきれない少年事件も現実に起きたりしていて、ある時期に、僕のなかで何かが越えたというか。
もし『チルドレン』を読んで面白いと思ってくれた読者がいたなら、今、その人たちのために陣内や武藤たちが活躍する新しい物語を書こう、今度は長編でやろう、エンターテインメントとして挑戦してみよう、と思えたんですね。
それが、2~3年前のことでした。
实际上,我本来是没打算写《孩子们》的续篇的。
但是,我也不知道算不算有直接关系,在现实中发生了令我难以消受的少年事件,让我开始思考,阵内的话,现在会怎么做呢。在某个时期,我产生了这样的想法。
如果有读了《孩子们》之后觉得有趣的读者,为了他们,来写一篇阵内和武藤他们的新故事吧。这次就写长篇,作为娱乐来挑战一下吧。
大概是在2-3年前,有了这样的想法。
──2004年の『チルドレン』刊行から、2016年の『サブマリン』まで長い年月が流れています。伊坂さんがその間に書かれた小説で積み重ねてきたものが、どこか作品の在り方として、この新作に詰まっているような気がしてなりません。
——从2004年《孩子们》发售到2016年的《潜水艇》,中间经过了很多年。伊坂老师在这些年里通过写小说积攒下来的东西,似乎已经成为了某种作品风格,在这次的新作中集中展现出来了呢。
『チルドレン』で、家庭裁判所の調査官を主人公に小説を書いたとき、決めたことがあるんです
それは、調査官が熱意を持って頑張れば非行少年も理解してくれて更生するんだ、というお話にはしたくない、ということでした。
『サブマリン』でも、その最初に決めたことを踏襲しているのはもちろんなんですが、今作では、一方でこんなことを目指してみたんです。
たとえば、交通事故って、本当にやりきれないものですよね。何の罪もない人が突然命を奪われる。実際の事故の報道に接したりすると、僕自身、そこに加害者に対しての怒りしか覚えないですし、やりきれない。
でも逆に、その加害者には重い持病がありました、と聞けば、僕はすぐに、ああそうだったんだそんな事情もあったんだ、って加害者に同情する気持ちを持ってしまう。
でもまた逆に、持病があったにもかかわらず加害者は病院に通っていなかったと報じられると、なんなんだよふざけるなよ、ってまた怒りがわいてくる。
揺れ動いちゃうんですよ。被害者はもちろん被害者のままですけど、いったい誰を責めたらいいのか分からなくて。
だから、そういうことを、嫌だけど、書く。そういう結末がはっきりしないものを、書いてみよう、と決めたんですよね。僕の初期の作品は、そんな意識を持ちながら、物語としては勧善懲悪のスタイルにしたかったんです。フィクションだから。
当初写《孩子们》,在把家庭裁判所的调查官定为主人公的时候,就有已经决定下来的事。
那就是,我不想写调查官通过怀抱热情的努力感化了犯下错误的少年,重新做人之类的故事。
在《潜水艇》中也同样沿袭了最初决定的这个基准,不如说在这本里,更是专门在把它作为目标来写的。
举例来说,交通事故是非常不合理的事吧。没有任何罪过的人突然被夺去了生命。实际看到报道说有事故发生的时候,我自身也会对事件的加害者感到气愤,觉得难以接受。
但是,如果我听说了那个加害者当时身患重病,我马上会对加害者抱有同情的心情,“原来是这样啊”。
但又反过来说,如果有报道说那个加害者虽然身患重病却不去医院治疗的话,我又会觉得这个人在搞什么啊开什么玩笑,心生怒火。
感情就是这么容易动摇。当然受害者仍然是受害者,我却会渐渐搞不明白,到底该责备谁才好。
所以,我虽然讨厌这样的事,但还是要写。我想试着去写这种没有明确结论的事。我初期的作品里,虽然带着这样的意识,但因为是虚构作品,还是想写成惩恶扬善的故事。
でも、だんだん、それはそれで何作か書いているし、じゃあ、それをさらに越えたものを、やりきれなさを描きながらもっともっとエンターテインメントにしていこう、っていうのが、僕のなかである種の課題になってきたんですね。
やりきれないまま終わると文学的に寄るかもしれないけど、それはエンタメ作家としてずるい気もするので、エンターテインメントとして面白い小説を目指してみよう――『サブマリン』を書く上で、そういう気持ちがありました。
不过,我渐渐那样写了几本之后,就想着不如写写看超越了之前作品的,描绘着世间不合理性的同时,也更加具有娱乐性的小说吧。这在我心中成了一个课题。
如果故事以“未完成”的状态结束,可能就太接近纯文学的风格了,通俗作家这么写的话会让人觉得有些狡猾,那么就以作为娱乐作品也能让人感觉有趣的小说为目标吧——这是我写《潜水艇》时产生的想法。
奇をてらいたいわけではないんですが并不是想卖弄奇策
──連作短編の『チルドレン』から、長編の『サブマリン』へ。小説の構造としても、何か変化を与えたいという気持ちがあったのでしょうか。
——从连作短篇《孩子们》到长篇《潜水艇》。是否有过想对小说的构造做一些改变的想法呢。
僕は、もともと連作短編という形式が得意ではないというか、『チルドレン』の場合は、本当にデビューして間もない初期の頃に小説誌の単発の執筆依頼をいただいたのがきっかけだったんです。それで、「バンク」という最初の短編を書いて、そこから半年に1編くらいのペースで「チルドレン」、「レトリーバー」、「チルドレンⅡ」、「イン」と書き継いでいって、一冊の本にまとまっていったという経緯があったんですね。
我本来就不是很擅长写连作短篇的形式,《孩子们》其实最开始,是以刚出道时写给小说杂志的单篇稿件为契机才开始写的。写了最初的短篇《银行》之后,以大约半年一篇的节奏继续写出了《孩子们》、《寻回犬》、《孩子们Ⅱ》、《在里面》几篇,最后合成了一本。
今回、それと同じことをするつもりはまったくなかったんです。
『チルドレン』のように一編一編の章立てで時系列の変化をつけたり、視点人物を替えてみたり、そういうこともしたくなくて、前もそうだったから今度もこうなるでしょ、っていうふうに読者が思ってしまうことはやりたくなくて。たぶん、僕の作風って、そこがポイントになっているんです。読者に安心感を与えてしまうのが嫌なんでしょうね。
这次,我不想采用同样的方式。
不会像《孩子们》那样在章节之间推进时间的变化,也不会切换人物的视点。读者可能会想,因为上次是这么写的,这次也会用一样的方式。正因如此,我这次才不想这么写。这点在我的作风里大概正是卖点。我不想给读者太多的安心感。
──伊坂さんは、「読者型」の小説家だと感じます。どんなジャンルでもそうだと思うんですが、たとえば小説家だったとしたら、小説家になる動機というのは、他人の小説を読んだから小説家になる人と、それとは無関係に小説を書いて小説家になる人とがいますよね。伊坂さんの場合は、いろいろな小説を読んで、小説が好きで、じゃあ、それに対して自分は何を書けるのかな、と自分に問いかけることで、小説を書いてこられた方だと思うんです。
——感觉伊坂老师您是“读者型”的小说家呢。虽然不管哪个职业都是一样,比如说小说家成为小说家的动机,会分为读了其他人的小说所以想成为小说家的类型,和只是写着自己的小说而成为了小说家的类型。伊坂老师的话,让人觉得是读了各种各样的小说之后,喜欢上了小说,那么我能写什么呢,这样向自己提问后,才开始写小说的呢。
まさに、そうですね。
的确,正是如此。
──だから、読者の小説の読み筋を、予測するんですよね?
——因此,您会预测读者阅读小说时的思路吧?
そうなんですよ(笑)。
是呢(笑)。
──予測して、そっちに行かないようにする。
——预测读者的想法,然后故意不向着那边发展吧。
奇をてらいたいわけではまったくないんですが、読者の半歩あとをついていくような展開は本当に嫌なんです。読者の僕は、「こうなるのかな」という予測どおりにいく小説は読みたくないので。
たとえば、『サブマリン』の冒頭で、陣内と武藤の二人の家裁調査官が少年を鑑別所へ護送する場面を書いたんですが、その次の場面をどうするかで、まず最初に悩みました。
たぶん、何も考えなければ、次は調査官たちの職場のシーンに続けると思うんですよ。そのシーンを、語り手の武藤が説明して、今こういう状況になっていますよ、そこに陣内もいますよ、同じ組の女性調査官はこういう人ですよ、ということを彼が説明して、小説を書いていくと思うんですが、それが僕、心底、嫌なんですよ(笑)。あまりに定型といいますか、読者には何のわくわく感もなくて。少しでも、「あれ、どうなるのかな」と思ってほしいというか。
我完全没有卖弄奇策的想法,但是我真的不喜欢那种跟在读者后面半步的情节。作为读者,我是不想去读一直如我预测般发展的小说的。
比如说《潜水艇》的开头,我写了阵内和武藤两个家裁调查官把少年送到鉴别所的场景,但是接下来一个场景要怎么写,当时烦恼了好久。
如果不经思考地写,大概下一个场景就会开始描写调查官们的职场吧。我会以武藤为叙述者介绍那个场景——现在的状况是这样啦,阵内也在这里啦,同组的女调查官是个怎样怎样的人啦——解说了这些之后,继续接下来的故事。但是我真的,不喜欢这样的写法啊(笑)。实在是过于定式,没办法给读者任何期待。至少希望他们能觉得“咦,这是怎么回事呢”啊。
実際は、いったんは普通の流れで書かなきゃいけないと思って、職場のシーンを書いてみたりするんですけど、もう自分がつまらなくて、そこから書けなくなってしまって……。
だから、今作では、別の方法を考えて、具体的には、ひとりの新しい人物をいきなり登場させているんですが、そっちに話を振っていこうと。あるいは、後で出そうと思っていた別の人物を、早めに登場させて、小説を動かしていこうと。それで少しずつ前に進めたんですよね。
僕は、やっぱり、そういうことをやらないと書いていけないんだろうな、と思うんです。
实际上,最开始我也觉得必须要按照普通的流程写下去,试着写了职场的场景,但是自己也觉得实在是太无聊,写不下去……。
所以,这次我想了一些别的方法,具体来说,像是突然让新人物登场,把话题转向那边。又或者是让本来打算后期出场的别的人物提前登场,推动剧情。像这样一点一点推动着故事前进。
我觉得,我果然还是要用这种方法才能写下去啊。


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